Mauricio de Sousa
マウリシオさんの子ども時代についてお話いただけますでしょうか?いつから、そしてどのように絵に興味を持ったのでしょうか?
父がくれた色鉛筆と紙でいつも落書きしていましたね。
3歳の頃、私はサンパウロに住んでいました。当時の街は平和で、一人で近所の歩道を歩き回っていました。そんな探検をしていたある日、雑誌が落ちているのを目にしました。ボロボロで、表紙もない状態でしたが、描かれている絵に目を惹かれました。それは、それまで見たことのなかった漫画本だったのです。
ドワーフや動物たちを従えた、ケープをまとったうさぎのスーパーヒーローの絵でした。家に持ち帰って母に見せたところ、これは漫画よ、と教えてくれました。
その場で何ページか読んでくれました。もっと読んで欲しいとねだった挙句、もう少し続きを読んでくれました。
そして、それから毎日少しずつ読んでくれるようになりました。ジョッカ・マーベルという名前のカラフルなスーパーうさぎのストーリーでしたが、もう魅了されて釘付けになりましたよ!
私の漫画への興味に気付いた父は、出かける度に新しいコミックスを持ち帰ってくれるようになりました。母は、私に邪魔されず元通り家事ができるよう、私に読み方を教えてくれました。3~4か月くらいで読めるようになりました。稚拙ながら、父が揃えてくれたクレヨンを使って、カラフルな絵やキャラクターを一生懸命真似て描いていました。
まだ幼い4歳のころでしたが、「大きくなったら人形が出てくるお話を描くんだ」と両親に言った記憶があります。
制作においてどのような要素が影響となりますか?
生きている上で体験すること、感じること、学ぶことすべてです。
子供のころの友達と、彼らのいたずらを観察していたことは作品に大きく反映されています。大人になって娘や息子ができてからは、彼らから多くのことを学びました。私のメインキャラクターの中には、彼らからインスピレーションを受けたものもあります。彼らを観察しては、そのまま漫画に描いていました。長女のマリアンジェラは、まだハイハイしていたころにキャラクターになってしまいました。怒りんぼで、縫いぐるみのウサギを放さなかった次女のモニカや、食欲旺盛で、特にスイカが大好きでペロリと食べてしまう三女のマガリも同様です。孫も含めて、いまでは我が家の子供は10人まで増えました。
そのほかにも、家族以外からインスピレーションを得て作られた400ものキャラクターがいて、私のスタジオで創られるストーリーに登場しています。60年もの長い間人気を得ることができたのは、常にキャラクターのふるまいに注意を払ってきたからだと思っています。道徳的に正しい行動かどうか、それにせりふの文法などにも注意してきました。その結果、私たちの創るストーリーは三世代に渡って愛されてきました。私のスタジオは楽しく、とても満足しています。さらに嬉しいのは、私の描くストーリーが子供たちの読み書きの勉強に役立っているということです。ちょうど私が幼いころに母が教えてくれたようにね。
マウリシオさんには、日本との長年の深いつながりがおありだと伺いました。どのように日本との関係が始まったのですか?
子供のころ、日系人の方が多いモジ・ダス・クルーゼスというサンパウロの田舎町に住んでいました。学校では、クラスメートの半数は日系二世でした。その環境で生涯の友情を得ました。友人の家の遊びに行っては、和食をごちそうになったり、遊びながら友だちが口ずさむ日本の童謡を一緒に歌ったりしたものです。日本の事はいつも身近に思っていたのです。日本人の習慣やしきたりなどを尊敬するようになり、いつしか日本に行くという夢を抱くようになりました。
私のスタジオが徐々に大きくなっていき、北米のコミックスディストリビューター United Features Syndicateとの契約が成立しました。彼らがいくつもの国の新聞社へ私の作品を配給して、それがきっかけとなって初の日本訪問を計画し始めました。最初はコマ漫画だったのが、週刊のカラーページに発展しました。そこで掲載されていた愛おしいキャラクター、心優しい小さな恐竜の「オラシオ」が日本の大手企業の目にとまり、契約が成立しました。その企業とは、ハローキティで知られるサンリオ社でした。
そんなふうにして、50数年前に日本との関係を築いていったのです。
日本で「オラシオ」の制作をしていた当時、ファイナルアートの作業の応援に、私のスタジオの女性アーティストであるタケダ・アリッセが日本へ駆けつけてくれたこともありましたね。その後何度も訪日しておりますが、嬉しいことに毎回かならずサンリオ社へ立ち寄らせていただき、恩師である辻慎太郎社長との再会を重ねてきました。辻さんはつい最近まで現役の社長を務められていましたよね。
ビッグネームの日本人との交流はその後も続きました。
サンパウロ国際交流基金の交流プログラムで訪日した際に、「漫画の神様」手塚治虫氏と知 合い、親友となることができました。手塚さんは、鉄腕アトムやジャングル大帝、リボンの騎士など、漫画界で最も認知されているキャラクターの生みの親です。
文化交流プログラムの一環として、国際交流基金が手塚さんをブラジルへお招きしました。手塚さんとこの私、そして多数のブラジル人漫画家が集った素晴らしい機会となりました。
手塚さんとお会いしたある時、二人のキャラクターをコラボさせたアマゾンの環境保護をテーマとした作品を制作すると約束を交わしました。その後、同テーマで何冊かの雑誌を発行しました。このわくわくするようなクロスオーバーで制作された作品に、ブラジル側からはモニカ&フレンズが登場しました。しかし、残念ながら手塚さんが他界されたため、このプロジェクトは継続できなかったのです。手塚さんのご子息である手塚眞氏とお会いして、いま改めて環境保護をテーマにした作品を復活させる可能性について考えています。
日本に更なるアプローチをする為、2019年には東京を拠点に支社を開設し、今後ブラジル本社同様の事業をアジア諸国での展開を目指しています。
本年より「モニカ・トイ」が日本で配信されるようになりました。どのようなお気持ちでしょうか?
夢が叶いました。日本の放送局で自作アニメが放送されることは世界中の漫画家が実現したいことです。近々漫画の日本語版も出来あがりますし、その他多くの商品が日本の市場でもリリースされます。日本語版の絵本は既に発売されています。後はモニカ&フレンズの漫画本ですね。
COPICにつきまして:COPICマーカーのご印象は?
COPIC製品の品質は、世界的にも知られています。技術を究めるために努力している若いアーティストが新しいアートやキャラクターを創造するのに最適ですし、また我々が60年以上にわたって読者に届けてきたようなポジティブで楽しいメッセージを伝えるのにも理想的なツールといえるでしょう。活動年数で思い出しましたが、冒頭で私のスタジオのアーティストであるタケダ・アリッセの名前を挙げました。日本での漫画制作時にサポートしてくれた彼女です。実は、その日本の旅がきっかけでお互いをもっと知ることができました。そして彼女と結婚してもう50年以上が経ち、3人の素晴らしい子宝に恵まれ、可愛い孫息子にも恵まれました。
COPICのモニカ・トイセットはいかがでしょうか?
最初、COPICからカタログが送られてきて5色選ぶようにとのことでしたので、マウリシオ・デ・ソウザ・プロダクションズのアートディレクターでもあり、弊社アーティストチームでのマーカーの用途を知り尽くしている妻に相談しました。今回コピックマーカーを使用してくれると期待している若者や子供たちにとって刺激的だと判断した色を選んだ結果、とても素敵なセットになりました。このセットには、マーカーのほかに「モニカ・トイ」の塗り絵が含まれています。
最後になりましたが、マウリシオ先生のような漫画家を目指しているブラジルと日本の若者に何かメッセージありますでしょうか?
自分の思い描いたことをペンの先から伝えて絵を描くのは快感ですし、自分の作品を家族や友達に見てもらえることは達成感に満ちています。絵を描くアーティストというのは、もっとも幸せなのです!
「モニカ トイ」 数量限定セット好評発売中
ブラジルの国民的マンガ家 マウリシオ・デ・ソウザ氏と、コピックのコラボレーションセット
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