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yutaokuda

yutaokuda 犬山市生まれ、神奈川県在住。ロンドンのISTITUTO MARANGONIでファッションデザイナーの学士号を取得後、世界的に有名な日本のファッションブランド「TAKEO KIKUCHI」でファッションデザイナーとして活躍していた。 TAKEO KIKUCHI」を退社後、アーティストとしての活動を開始。繊細な線とぼかしで、花や生き物をモチーフにした食物連鎖などの自然の美しさを描きます。また、生と死、美と槍など、相反するものも描く。 website InstagramFacebook

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人気アパレルブランドのファッションデザイナーからアーティストへ転身し、絵を描いて生きたいという強い想いを動力にハイペースに制作・発表に取り組む注目のアーティスト、yutaokudaさん。学生時代から創作活動を続けてきた傍らにはいつもコピックがあったという話をお聞きし、ユーザーインタビューにお答えいただきました。

— ファッションデザイナーからアーティストに転身された経緯をお持ちとのことですが、アーティストとして活動するまでの経歴をお聞かせください。

元々絵を描くことが好きで、小さい頃からずっと趣味で絵やイラストを描いていました。ただ、高校生の時に進路のことを考えた時、絵を描くことを本業にするのは現実的ではないし、商業的な分野でちゃんと食べていける職に就きたいと思っていたんです。そこで、ファッションも好きだし、デザイナーなら絵も描けるだろうと思いファッションデザイナーになろうと決めてその道に進みました。 はまったらのめり込むタイプなので、ロンドンのファッション学校に留学もしましたし、自分のブランドを立ち上げたりもしました。ただ、やはり自力だけではうまくいかなかったので、日本に戻った後はTAKEO KIKUCHIというブランドにデザイナーとして就職しました。

— 高校生の時からかなり堅実な考えをお持ちだったのですね。

仕事っていうのは自分の手でお金を稼ぐものと高校生ながらに思っていましたし、画家になるというのは自分にとって「宇宙飛行士になる」とかと同じくらい非現実的な夢だったんですよね。世の中の多くの人のイメージもそうじゃないかと思いますが、画家は専業では食べていけないというイメージが強くて、選ぶ仕事としては考えられなかったんです。

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— ブランドのデザイナー時代にはどのようなお仕事をされていたのですか?

TAKEO KIKUCHIには5年ほど勤めていましたが、ファッションデザインだけではなく、服の製作に関わる発注管理やスケジュール管理、販売商品の分析や新商品発表の準備など、商品開発から販売計画プランの検討まで幅広く携わりました。

— デザイナーとしてのお仕事も充実していたかと思いますが、アーティストとして活動することを決めたきっかけは何だったのでしょうか。

ブランドのデザイナーとして良いデザインを作りたいという思いはもちろんありましたが、一方で個性が出せるような絵を自由に描きたいとも思っていました。ブランドの枠の中でデザインを考えることと、自由に絵を描くことは全く違うのでそんなモヤモヤした気持ちをずっと抱えていたんですよね。 そんな意識があったので専門学校時代の友人や知人が活動している姿もあまり素直に見れなかったんですが、27歳くらいの時に知人が開催する個展を偶然観に行く機会があって、そこでちょうどお客さんが嬉しそうに彼の絵を買っていく場面を見たんです。その光景がすごく羨ましくて。自分はずっと、自分を自由に表現している人達のことが羨ましくて嫉妬していたんだと気づきました。その気持ちに気づいてからは、一転して色んな人の展示や美術館に観にいくようになりましたし、この先の人生で自分がやりたいことってアートしかないんじゃないかと強く感じました。

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— アーティストとして活動し始めた頃の作品を拝見しましたが、最新の作品とは大きく異なる細密画で驚きました。最初に細密画を描き始めたのはなぜでしょうか?

理由はすごくシンプルで、手元にある身近な画材で描き始めようと思ったからです。ファッションデザインの勉強をしていた時もデザイン画を描く時にはずっとマルチライナーを使っていたので。ただ、作品枚数を重ねることで、子供の頃に身近な存在だった動物や昆虫、植物のディティールに注目してよく絵を描いていたなと思い返すこともあり、細密画を描き始めた自分のルーツに気付くことができました。そうしてペン一本、黒一色で描いてきたことが今の自分のアイデンティティに繋がっていると思います。

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— 一転、今はすごくカラフルな絵になりましたよね。今の絵になるまでにどんな心境の変化があったのでしょうか。

今のような絵を描くようになったのはコロナの流行がきっかけです。コロナという未曾有の災害が世界に起こったことで、この時期にアーティストとして何を思って何を描くかというのはとても重要なことだと思っていて、ずっとどんなものを描くべきか考えていました。 2020年の春に個展ができた時に、たくさんの人に助けられているなと思ってこれまで当たり前にできていたことにすごく感謝をするようになりました。これまで当たり前だと思っていたことに対して感謝を伝えたい時に、自分なりに感謝の気持ちを伝える手段として自分にとって身近な花で表そうと思い、今の作品に近づいていきました。 絵にする花も、最初は実際に存在する花を描いていたんですが、感謝を意味しない花言葉がついている花もあったり、花束にした時の本数で意味が決まってしまう花もあるなと思ったので、「感謝」というコンセプトがぶれないように、あえて意味を持たない抽象的な花を描くようになりました。

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— アクリル絵具で形作られた花にマルチライナーで線を乗せていくというユニークな組み合わせに驚きました。花を表現する手段としてアクリル画を選んだのはなぜですか?

たくさん枚数を重ねて思い描いたものを紙に起こす作業ができるようになってくると、イメージした理想のものが100%の精度で描けるようになってきます。その思い描いた100%のイメージを少し超えたいと思った時に、偶然性というのを大事にしたいと思ったんです。偶然性をどう取り入れるかと思った時に、今はアクリル絵の具がしっくりきました。アクリル画は絵に三次元的な凹凸がでるし、自分のアイデンティティである線を活かしやすいと思ったのが決め手です。

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— マルチライナーを選び続けている理由がありましたら教えてください。

最初は、手元にあったからという理由で使っていましたが、細密画でいこうと決めてから改めて画材の選定をしました。ミリペンやつけペン、ボールペンなど、ドローイングペンをたくさん買ってきて自分に合うものを探しました。黒色が強くて耐光性のあるインクを求めていたので、水性顔料インクでインクの色が好みという点でマルチライナーに落ち着きましたね。 細密画をメインで描いていた時はキャンバスに直接描くこともありましたし、すぐ磨耗してしまって頻繁に買い替えていました。縦横1m以上ある大きな作品を描いたときは200本くらいのマルチライナーを使ったと思います。

— マルチライナーの使い方で気をつけていることやコツはありますか?

今の作風だとアクリル絵の具の上に描いているので、絵の具の色によって色が乗りにくい時もあります。使って1時間くらいでダメになってしまうのもあって、最近はあまりにもったいないのでニブが替えられるマルチライナーSPを使うことも多いです。

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— アーティストに転身してからまだ5年とのことですが、先日の個展も大変な盛況でしたし、これまでの展示会への参加歴を見ても非常に意欲的に活動されていると感じました。

最初に理想を掲げてスタートした時に一枚も絵が売れなかったということを経験していますし、色々な人の展示に行ってヒントを得たり勉強をしたりして、自分の展示方法や条件、宣伝方法などを見直して少しずつブラッシュアップして展示会の回数を重ねてきたことが現在に繋がっていると思います。 アーティストなので一生懸命良い絵を描くことは当たり前で、絵を描き続けるには、絵を描くこと以外に必要なことがたくさんあるなと思っていて、自分の絵を知ってもらうためには普通の企業やお店がやっているような広報活動やサービスをちゃんと考えてやる必要があるんですよね。どうやったら自分の作品を選んでもらえるかを考えて、一つずつ仮説を立てて検証していくということは今も意識しています。

— 制作活動のモチベーションはどこから生まれますか?

絵を描くという行為自体は自分にとってはご褒美なので、それ自体にモチベーションを保つ必要はあまり感じていません。もちろん、絵を描いている時も辛いことはありますが、楽しいという気持ちの方が大きいですし。でも、アーティストとしての活動を続けていくためにやらないといけない、広報活動とか苦手なことを頑張るために、同じように活動しているアーティストと関わったりして、自分を奮起させる機会を意識的に作るようにしています。

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— これから挑戦したいことはありますか?

一貫して、絵を描き続けて生きていきたいというのが大前提です。今はアシスタントもいますし、自分だけがよければいいという環境ではないですが、そういう変化も良いことだと受け止めています。絵を描いて生きていくと腹を括っているので、そのためにできることは何でもしたいと思います。

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